2014年5月23日金曜日

図書館で調べ物



図書館で調べ物
(http://www.hashslingrz.com/go-check-library)

ハッシュスリンガーズ著 于淼・木原善彦訳

 フィリス・コーマックがバスから降りると同時に、エアブレーキのバルブが解放され、いきなり耳障りな音が鳴った。びっくりして、ぐっと飲んだコーラは鼻に入ってしまい、まるで針が頭をちくちく刺すように泡が破裂した。彼女はむせてチェリーゼロを道に噴き出した。頭がすっきりしないうちに、突然パトカーがバスの隣を勢いよく通り過ぎ、サイレンがかなり近い距離で悲鳴を上げ、彼女は反射的に身を屈めた。まるで歩道に下りてきた低空飛行のジェット機を避けるみたいに。
 フィリスは宿題と同じぐらい、街中が嫌いだった。それはつまり、土曜の朝の家事――部屋の掃除をしたり、さらにひどい場合は猫の皿を洗ったり――よりも嫌いということだ。生物の宿題はいつも同じパターン。高校の教科書には何も役立つ情報が載っていないような漠然としたトピックについてエッセイを書けというものだ。ただし、今回に限っては彼女が悪い。トピックを選んだのは彼女自身だったから。
 大学キャンパスの図書館に行って助けてもらいなさい、と提案したのは母だった。フィリスは騒がしい学生たちの間を縫って、図書館へと向かった。建物の外観はただの巨大なガラスのドームで、図書館のようには見えない。彼女が中に入ると、通りの騒音が急に止み、聴覚域の急激なシフトが起きて、次第にキーボードを打つかちっという音や、木に似せた樹脂製の床タイルを踏む靴の踵の音が聞こえるようになった。
 学生たちはフィリスより年上だった。彼女には、学生たちが新入生なのか上級生なのかを見分けることはできなかったが、皆、すましていて、自信満々に見えた。それで彼女は萎縮した。いつか入ろうと願う大学のこの第一印象から、彼女は大学に拒絶されることしか想像できなかった――だって私はニキビが多すぎるし、履いている靴が間違っているし、ふさわしい音楽を聴いていないから。
 彼女はそんなネガティブな考えを脇によけ、やるべきことに集中した――どうしてクジラが浜辺に座礁するのかについての情報を集めなければならない。本棚は一つも見当たらず、長いデスクの列とコンピュータ端末があるだけだ。本だって一冊も見当たらない。ここは本当に図書館? それとも机と学生を栽培する温室? 彼女は部屋の真ん中にある司書のカウンターと思しき場所へと向かった。
 名札にミス・オードントシーティと書いてある、眼鏡をかけた小柄な老婦人がカウンターに立っていた。灰色のきつすぎる洋服から腕と腰回りの贅肉がはみ出し、動くたびにナイロン製の下着とこすれていた。セイウチのように首回りの脂肪が揺らいで、ボヨンボヨンと音を立てていた。
 「すみません。海洋環境とクジラに関する宿題が出たので、多分ここに……あの、本とか何か役に立ちそうな資料があるかと思って……」
 彼女は眼鏡越しに見つめながら、「あなたはここの学生?」と鼻を鳴らして言った。
 「ええと、違います……。でも、貸し出しは必要はないんです。ノートとペンを持ってるので。棚に並んでいる本を見たかったんです。ただ、本棚が見当たらないので。ここは本当に図書館ですか? 外の壁には大きく図書館と書いていましたけど」
 「いいですか、お嬢さん。あなたがいるすぐ下に数百万冊の本、雑誌、会議の議事録が置いてあるんです。地下は六階あって、棚は全て合わせると五十フィートの高さになります。本を下から持ってくるためには、自動倉庫システムを使うの。自律型無人潜水機のように、見えないロボットたちが走り回っています。でも、ここはラテを飲みながら悠々と拾い読みするような本屋とは違う。まず検索のためのキーワードが必要です。あなたの宿題は何?」
 「どうしてクジラが浜に打ち上げられるのかを調べなければいけないんです。私はケープコッドにバカンスに行ったとき、打ち上げられたクジラを一頭見ました。それからカナリア諸島に打ち上げられたたくさんのアカボウクジラの記事を読んで、マダガスカルの二百頭のカズハゴンドウ、オレゴン州のマッコウクジラ、あとはフロリダの……」
 「分かったわ、お嬢さん。私はこれまでいくつか、そういうことに関連した団体で働いてきました。簡単には答えられない質問もあります。さっき言ったように、私たちはここで何百万もの出版物を取り扱っていますが、あなたの足下の文献はホワイトな文献で、索引がつけられていて検索が可能です。しかし、このような文献は世間に害のない事実しか含んでいない。つまり、彼らが世間に見せたいと思っている情報ということ。あなたはもっと深い場所に埋められている事実をお探しですね。よく聞いて。あなたにはただでこれを教えてあげましょう。エイハブ船長はピークォド号とともに深く静かな海に沈みました。ところが今、海は耳障りな音に侵されています。モビー・ディックは日々、海の中を伝わってくる音によって攻撃を受けているのです。ヘリコプターや飛行機がソナーを落としたり、駆逐艦がソナーを引っ張ったり。石油やガスの測量船が海底に向けてギャーギャーと音を出したり。岩床に固定された風力発電の鉄塔からもビュッビュッビュッと音が出るし、巨大タンカーの周りにできた空洞水流からディーゼルエンジンのピストンの音がドシンドシンと響いたり。権力を持った利害関係者たちは環境へのダメージをホワイトな文献から隠すためにできる限りのことをしているのです」
 女は話しながら段々と身を乗り出してきて、近くの空港で離陸するジャンボジェットの轟音の中でも聞こえるよう、徐々に声を上げた。異常に低く飛んでいるため、ジェット機のエンジン音がフィリスの胸の中で轟いた。
 「でもねお嬢さん、あなたがしたような質問の答えは、たまに別のどこかに漏れ出ているものですよ。普通の出版物から獲得できない情報の中、つまり目録や索引付けがされていない書物なんかにね。つまりグレーの文献というものです。技術草案報告書、科学研究グループのノート、調査報告書から非公式なメモ、日記、船員からの手紙、これらの書物は政府や米国国防総省、産業界から支配されていないのです。そのようなグレーの文献を探したらもっと真実に近づけます。一歩手前まではね。でも、もしあなたが真相を知りたいならば、さらにもっと深いところへ飛び込まなければなりません。ブラックな文献――ロシア人が“地下出版物”と呼んでいたような文献――にまで分け入らないとね。そこまで行けば、彼らが隠したがっている危険な事実が見つかります。機密情報は厳重に守られているから、書き写したものを持っているのが見つかったりしたら命に関わりますよ」。フィリスのすぐ耳元でミス•オードントシーティさんは囁いていた。あのジェット機はもう過ぎ去っていた。
 「本当に、恐ろしい話ですね……。私はただ宿題をしたいだけだったのに……。あの、もういいです。帰っておじいちゃんに聞くことにします」。フィリスはめまいがし、吐き気に襲われた。
 フィリスのすぐ後ろで、小ドラムと大ドラムのクラッシュの音、ギターのリフがマシンガンのように聞こえた。騒音に混じって“畏怖の海”と“CIA”という歌詞の断片が聞こえた。振り返ると、すぐそこにレディオヘッドのTシャツを着ている学生が立ちはだかっていた。首に巻いたヘッドフォンから音楽がほとばしってくる。耳がおかしくなる音量だ。びっくりした彼女は立ち止まり、その学生の顔をじっと見つめた。
 「ベイビーは|潜水病《ベンズ》」。彼はゆっくりと言った――あたかもその歌詞に何かの意味があるかのように。フィリスは逃げ出した。

【訳者解説】
 らしい短編。
 「鯨はなぜ(自ら)浜辺に打ち上げられるのか?」というのはかなり前からある謎で、ウィキペディアの「座礁鯨」の項目にある通り、決定的な答えが見つかっていません。潜水艦の発するソナー音が原因だという人もいて、米国海軍がそのような事例を認めたこともあります。やや陰謀論的な見方に従えば、そういうケースの多くは有力者によって隠されていて、普通のメディアは報じないけれども……という話になっていますから、グレーの文献を見なければ真実には近づけない。
 ちなみに、よく知りませんでしたが、「グレーの文献」「灰色文献」というのは実際に図書館に収蔵することが検討され始めているようですね。一見、この短編にあるような怪しげなものではなさそうですが、確かに面白そうな領域です。
 短編の結末で、レディオヘッドの歌「ベンズ」が登場します。歌詞の意味は漠然としています。とりあえず、「ベイビーは潜水病」というのが作品の締めくくりとなっていて、主人公の女の子が“ディープ”な情報に触れてめまいと吐き気を覚えているのが「潜水病みたい」という落ちになってます(たぶん)。潜水病は「減圧症」とも言い、「身体の組織や体液に溶けていた気体が、環境圧の低下により体内で気化して気泡を発生し、血管を閉塞して発生する障害の事」。なので、冒頭でチェリーコークがプシュッとなるのも前振り。また、(特にダイビング後の)飛行機での減圧などが引き金になることもあるそうですし、「ベンズ」の歌詞にも飛行機が出てくるので、結構、細かいネタ同士が絡み合っています。
 ミス・オードントシーティ(Odontoceti)は妙な名前です。あまり英語っぽい綴りには見えませんが、英語で「歯鯨」のこと。『白鯨』うんぬんについては説明を省略……。
 ハッシュスリンガーズさんの短編は、楽しみ方がいろいろあると思いますが、私自身は「ここって机と学生を栽培する温室?」みたいなちょっとしたお遊びもかなり好きです。

(了)

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